リアルのゆくえ |
ここはガン封じ寺とのこと。
ガンって近代の病名だから、いつからここはガン封じとなったのかな。
信心のない私では何が12年に1度か、有り難いのかわからず...
千佛洞巡りも、前を歩く人が早く行かないかなぁと思ってしまう。
12年に1度どころか、次はいつ訪れることか...
形原に他は? と検索すると、
形原城址ってのがある。
今の目の前の現実に違いはないだろう。
海岸線を走ると、おなじみのトンボロ。
眺めるだけで、次へ行く。
碧南市の藤井達吉現代美術館。
絵画の世界では、いまいちな感じ。
館内では「写真みたいだ」って声がしきりに...
写真のが、よりリアルだから?
写真の発達が絵画のリアリズムを封じた?
それにしても、リアリズム画家の静物って魚が頻繁に登場。
匂いを思い起こすから?
私は映像関係の仕事をしています、
業務用のビデオカメラやディスプレーを良く設置しています、映像の場合はその場で見る事が出来ます、
なので、優劣が付け易いです。
しかし目で見えない、オーディオの場合は耳を澄まして、
より、情報量を聴きたいと思い、神経まで研ぎ澄まし、
ある意味、禅みたいな境地ですね(笑)。
映像が無い事でデーターがメモリーに残りません、
記憶の世界で物のデーターを再構築していますね、
そんなオーディオが好きです。
コメントをありがとうございます。
映像を見た人は、好き嫌いをハッキリ言います。「私は目が悪いから」という人はいません。
ところが、オーディオでは「私は耳が悪いから」と、自分の感覚を否定してしまいます。
一方で、絵画などは「私にはわからない」と敬遠します。目で見えるものなのに、視力のせいではなく感覚、素養?のせいにします。
つまり、人はオーディオに対しては、聴力でとらえるものではなく、感覚でとらえる芸術に近いものと無意識に認識しているのではないか、と思います。
ゆえに、オーディオは単に音楽を再生する道具、手段ではなく、それだけで芸術に近い存在であると思います。
いうならば、音楽(録音ソース)はオーディオ芸術のための手段と言えるかも。絵画ならば、人物、静物、風景などの題材にあたる?
となると、何もリアルなだけが芸術の頂点とはならず...
いただいたコメントにインスパイアされ、色々と想いを巡らしました。
ありがとうございます。